歴史しらべ日本史を考えるくらさん

言葉を空白で区切ると、そのどちらも含むものだけが出ます(例:卑弥呼 魏)。
1語だけでも探せます(例:鎖国)。

← 鎌倉・室町(12〜16世紀)一覧へ戻る

No.10新着 南北朝と室町時代(1333〜1467年) 二つの朝廷の争いを越え、明・朝鮮・琉球と結んだ足利の世

鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇の政治は2年半ほどで崩れ、足利尊氏が立てた京の北朝と、吉野の南朝が半世紀以上争った。3代将軍足利義満は1392年に南北朝を一つにし、明から「日本国王」とされて勘合貿易を始めた。海では倭寇が暴れ、沖縄では琉球王国が中継貿易で栄えた。将軍家の力が弱まり、1467年に応仁の乱が起こる。

𝕏 でポストする

出典を確かめた日
2026年10月19日
分野
鎌倉・室町(12〜16世紀)
立場
くらさんの考察
タグ
政治天皇・朝廷武士戦争・争い外交経済・暮らし人物中国朝鮮半島
地域
日本(京都・吉野・九州・沖縄)、中国(元・明)、朝鮮半島(高麗・朝鮮)
資料の種類
事典・概説
年代
1333〜1467年

本文と出典

この時代のあらまし

1333年に鎌倉幕府が滅ぶと、後醍醐天皇は自ら政治を行った。後の時代に「建武の新政」と呼ばれる政権である。記録所や雑訴決断所を置いて土地の争いを裁こうとしたが、持ち込まれる訴えの多さに追いつかなかった。
1335年、北条氏の残党・北条時行が鎌倉を占領した(中先代の乱)。鎮めに向かった足利尊氏は征夷大将軍の地位を求めたが認められず、鎌倉で独自に恩賞を配り始める。後醍醐天皇は新田義貞に尊氏を討たせようとしたが、尊氏は1336年に京に入り、湊川の戦いで楠木正成が戦死した。尊氏は光明天皇を立て(北朝)、建武式目を定めて幕府を開いた。後醍醐天皇は吉野に移って南朝を開き、二つの朝廷が並び立つ南北朝時代が始まった。
南北朝の争いは、幕府の内部の争いとも絡んで長引いた。1350年から1352年には、尊氏と弟の直義が争う観応の擾乱が起きた。
この分裂を終わらせたのが3代将軍足利義満である。義満は京の北小路室町に邸を移し、「室町殿」と呼ばれた。室町幕府という名はここから来ている。1392年、明徳の和約で南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に神器を渡し、南北朝は一つになった。義満は1394年に太政大臣となり、1401年には明に使いを送った。
義満の死後、幕府の力は少しずつ弱まり、守護大名の家督争いと将軍家の跡継ぎ問題が重なって、1467年に応仁の乱が始まる。

主なできごと

・1333年(元弘3年) 鎌倉幕府が滅び、後醍醐天皇の親政が始まる
・1335年 中先代の乱。二条河原落書(建武2年の作とする見方がある)
・1336年 湊川の戦い。光明天皇の擁立、建武式目。後醍醐天皇が吉野へ移り、南北朝の分裂
・1350〜1352年 観応の擾乱
・1350年(庚寅) 『高麗史』がこの年から倭寇が始まったと記す
・1368年 明の建国
・1369年 足利義満、3代将軍となる
・1378年 義満、北小路室町の邸(花の御所)へ移る
・1392年(明徳3年) 南北朝の合一(明徳の和約)。朝鮮半島で李成桂が王朝を開く
・1394年(応永元年) 義満、太政大臣となる
・1401年(応永8年) 義満、明に使いを送り、「日本国王」とされる
・1404年(応永11年) 勘合を使う日明貿易が始まる
・1411年(応永18年) 4代将軍義持、日明貿易を止める
・1419年(応永26年) 応永の外寇。朝鮮軍が対馬に攻め込む
・1429年 尚巴志が琉球の三山を統一したとされる
・1432年 6代将軍義教のもとで日明貿易が再開される
・1467年(応仁元年) 応仁の乱が始まる(1477年まで)

文字の記録から分かること

建武の新政のころの世の中を皮肉った「二条河原落書」が残る。京の二条河原に掲げられたという作者不明の文で、成立は建武元年とする古い説と、建武2年8月ごろとする森茂暁の見方がある。
『高麗史』には、1350年の記事に「倭寇の侵すは此より始まる」とある。高麗の公式の見方として、この年を倭寇の始まりとしている。ただし、それより前にも倭寇の記録はある。
義満と明の関係は、明の側から見ると「朝貢」だった。明は国と国との貿易を、皇帝に貢ぎ物を差し出す形でしか認めなかった。日本の船は、正式な使いであることを示す割符「勘合」を持ち、倭寇や密貿易の船と区別された。日本からは硫黄・銅・刀剣・扇子・漆器などを運び、明からは永楽通宝などの銅銭、生糸、織物、陶磁器、書物を持ち帰った。

世界では

1368年、朱元璋(洪武帝)が元をモンゴル高原へ追って明を建てた。明は1372年に海禁令を出して民間の海の貿易を禁じ、国どうしの朝貢貿易だけを認めた。洪武帝ははじめ、九州にいた南朝方の懐良親王に倭寇を取り締まるよう求めたが、うまくいかなかった。のちに明は北朝方の義満を日本国王とし、倭寇の取り締まりを求めた。永楽帝の時代には、鄭和の大艦隊が1405年から東南アジアやインド洋へ出て、一部はアフリカ東海岸に達した。
朝鮮半島では、高麗の武将李成桂が1392年に王朝を開き、明から「朝鮮」の国号を受けた。都はのちに漢城(いまのソウル)に定まる。日本の南北朝合一と同じ年である。倭寇に悩まされた朝鮮は、1419年に倭寇の根拠地とみた対馬へ兵を送った(応永の外寇)。朝鮮軍は敗れて引き揚げたが、この後、対馬や北九州での取り締まりが強まり、14世紀の倭寇(前期倭寇)は衰えていく。
沖縄では、14世紀後半に北山・中山・南山の三つの国が並び立ち、1429年に第一尚氏の尚巴志が統一して琉球王国ができたとされる。都は首里で、日本・中国・朝鮮、ベトナムやタイなど東南アジアとの間をつなぐ中継貿易で栄えた。明が民間の貿易を禁じたことが、明と朝貢関係を結ぶ琉球にとっては追い風になったと考えられる。

評価の分かれる点

・建武の新政は、20世紀までは急ぎすぎた失政と評価されることが多かった。1998年の伊藤喜良の論文以降、鎌倉時代の制度を少しずつまとめた政治として見直されつつある。訴訟や恩賞の仕組みは室町幕府に引き継がれたともいわれる。「建武の中興」という言い方には評価が含まれる。
・明治以降は南朝を正統とする歴史観が強まり、南北朝時代を「吉野朝時代」と呼ぶこともあった。
・足利義満が天皇の位をねらっていたという説(今谷明ら)がある。しかし同時代の日記に計画の記録はなく、「日本国王」の称号も国内で使われた形跡がないため、近年は批判が多く、そのままでは成り立たない説とされている。
・倭寇の中身は学説が分かれる。14世紀の倭寇は北九州の日本人が中心で一部に高麗人が加わったとする田中健夫説、国の枠を越えた「境界人」の集団とみる村井章介説、主力は日本人だったとする説などがある。16世紀の後期倭寇は中国人が多数を占めたとされ、時代によって中身が違う。
・琉球の三山統一については、そうした史実はなかったとする説も出されている。
・応仁の乱の原因は、将軍義政の跡継ぎ問題と細川勝元・山名宗全の対立とするのが通説だが、畠山氏・斯波氏の家督争いなどを重く見る見方もある。戦国時代の始まりを1493年の明応の政変に置く説もある。

くらさんの考察

南北朝の争いが半世紀以上も続いたのは、二つの朝廷が、武士どうしの争いの旗印として使われたからだと考えられる。観応の擾乱のように幕府の内部が割れると、争いはさらに長引いた。どちらの天皇を担ぐかという大義名分の取り合いが、戦いを終わらせにくくしたのだろう。
義満が明の皇帝から「日本国王」とされたことは、国内向けには使われなかったとされる。明の側は朝貢と倭寇の取り締まりを、義満の側は銅銭と貿易の利益を求めた。形式と実利の取引だったと見るほうが分かりやすい。4代義持が貿易を止め、6代義教が再開したことからも、幕府にとって明との関係は損得で動かすものだったと考えられる。
明の海禁と朝貢の仕組みは、倭寇を生み、琉球を栄えさせ、日本の将軍に「国王」の肩書きを与えた。日本・朝鮮・琉球は、それぞれ明という大きな国の決まりに合わせて動いていた。この時代の日本を考えるには、海の向こうの決まりごとを抜きにはできない。

ジージへの問いかけ

・二つの朝廷が半世紀以上も並び立った。武士たちはどちらの天皇に従うかを、何で決めていたのだろう。
・義満が明に頭を下げる形をとってまで貿易をしたのは、損だったのか得だったのか。
・倭寇は「日本の海賊」と一言でくくれるのだろうか。

出典

・ウィキペディア「建武の新政」 https://ja.wikipedia.org/wiki/建武の新政
・ウィキペディア「南北朝時代 (日本)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/南北朝時代_(日本)
・ウィキペディア「足利義満」 https://ja.wikipedia.org/wiki/足利義満
・ウィキペディア「日明貿易」 https://ja.wikipedia.org/wiki/日明貿易
・ウィキペディア「倭寇」 https://ja.wikipedia.org/wiki/倭寇
・ウィキペディア「琉球王国」 https://ja.wikipedia.org/wiki/琉球王国
・ウィキペディア「応仁の乱」 https://ja.wikipedia.org/wiki/応仁の乱
・ウィキペディア「明」 https://ja.wikipedia.org/wiki/明
・ウィキペディア「李氏朝鮮」 https://ja.wikipedia.org/wiki/李氏朝鮮
・ウィキペディア「高麗」 https://ja.wikipedia.org/wiki/高麗

動画

・【社会】 歴史-26 室町時代① ・ 南北朝から室町編(とある男が授業をしてみた)https://www.youtube.com/watch?v=h-wMRYhyvzo
・【南北朝時代】123 室町幕府全盛期!足利義満【日本史】(YouTube高校 / 日本史・世界史)https://www.youtube.com/watch?v=CGltfEG2lPg

関連動画

この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージが歴史QAでくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。