No.16新着 明治維新と近代国家づくり(1868〜1894) 藩の国から、税・兵・学校を中央が握る国へ
1868年に始まった新政府は、戊辰戦争で旧幕府勢力を退けたのち、廃藩置県で藩をなくし、学制・徴兵令・地租改正で学校・兵・税を国が直接握る仕組みを作った。士族の最後の大きな反乱である西南戦争(1877年)のあとは、言論による国会開設の要求が強まり、1889年の大日本帝国憲法、1890年の帝国議会へと進んだ。
本文と出典
この時代のあらまし
江戸時代の日本は、将軍のもとで各地の藩がそれぞれ土地と人を治める国だった。1868年に成立した新政府は、まずこの仕組みを壊すところから始めなければならなかった。旧幕府側との戦い(戊辰戦争)は1868年1月の鳥羽・伏見の戦いに始まり、1869年の箱館での降伏まで続いた。
戦いと並行して、新政府は藩の力を一つずつ取り上げた。1869年の版籍奉還で藩主は土地(版)と人民(籍)を天皇に返し、1871年の廃藩置県で藩そのものがなくなった。このとき置かれた府県は3府302県で、すぐに3府72県へまとめられ、その後も統合が続いて1889年には3府42県になった。廃藩置県に備えて、薩摩・長州・土佐の兵が政府直属の兵として集められている。
藩をなくした政府は、学校・兵・税を国が直接扱う制度を次々に作った。1872年の学制は身分や男女を問わない国民皆学をめざし、徴兵令は士族でない男子にも兵役を課した。1873年の地租改正では、米で納めていた年貢を、土地の値段(地価)の3%をお金で納める地租に改めた。地租改正は各地で反対一揆を招き、1877年に税率は2.5%に下げられた。
武士の特権を失った士族の不満は、1876年の神風連の乱・萩の乱を経て、1877年の西南戦争に行き着いた。西郷隆盛を担いだ反乱軍に対し、政府は徴兵による兵を中心とした軍で戦い、9月に鎮圧した。これ以後、武力で政府を倒そうとする大きな反乱は起きていない。その後の争いは言論の場に移り、政府は1881年に国会を開くことを約束し、1885年に内閣制度、1889年に憲法、1890年に議会を整えた。
主なできごと
・1868年1月27日(慶応4年1月3日) 鳥羽・伏見の戦い。戊辰戦争が始まる
・1868年4月6日(慶応4年3月14日) 五箇条の御誓文
・1868年5月3日(慶応4年4月11日) 江戸城の明け渡し(江戸無血開城)
・1869年6月27日(明治2年5月18日) 箱館の戦いが終わり、戊辰戦争が終わる
・1869年7月25日(明治2年6月17日) 版籍奉還
・1871年8月29日(明治4年7月14日) 廃藩置県。3府302県から、まもなく3府72県へ
・1871年12月〜1873年9月 岩倉使節団がアメリカ・ヨーロッパを回る
・1872年9月4日(明治5年) 学制(太政官布告第214号)
・1872〜73年(明治5〜6年) 徴兵令による国民の軍づくりが始まる
・1873年(明治6年) 地租改正(太政官布告第272号)。地価の3%をお金で納める
・1875年 樺太・千島交換条約(ロシアと国境を決める)
・1876年2月 日朝修好条規
・1877年1月29日〜9月24日 西南戦争。同年、地租を2.5%に引き下げ
・1881年 国会開設の詔
・1885年 内閣制度ができる
・1889年2月11日(明治22年) 大日本帝国憲法を公布(施行は1890年11月29日)
・1890年7月1日 第1回衆議院議員総選挙
・1890年11月25日 第1回帝国議会が開かれる
文字の記録から分かること
学制は太政官布告第214号として出され、学区・学校・教員・生徒と試験・留学・学費について109章にわたって定めた。フランスにならって全国を大学区・中学区・小学区に分ける計画で、1879年の教育令に置き換えられている。地租改正は太政官布告第272号で、税率は「旧来の歳入を減じない」ように計算されたと説明されている。
大日本帝国憲法は伊藤博文を中心に、井上毅が草案を書き、ドイツ(プロイセン)の体制を手本にした。統治・軍の指揮(統帥)・外交などの大きな権限は天皇に属し、議会は貴族院と衆議院の二院で構成された。第1回衆議院選挙で投票できたのは、直接国税15円以上を納める満25歳以上の男子で、有権者は45万872人、人口の約1.13%にすぎない。
岩倉使節団の記録としては、久米邦武がまとめた『米欧回覧実記』がよく知られている。使節団は条約改正の予備交渉に失敗したが、各国の制度や産業を見て回ったことが、その後の改革の手本になった。
世界では
ヨーロッパでは1871年1月18日、ヴェルサイユ宮殿でヴィルヘルム1世が皇帝に即位し、ドイツ帝国が成立した。ビスマルクが率いたこの国の憲法は、20年後に日本の憲法づくりの手本となる。岩倉使節団が欧米を回ったのは、ちょうどドイツ統一の直後だった。
アメリカでは1861年から1865年まで南北戦争が戦われ、北部が勝って奴隷制が廃止された。死者は民間人を含めて70万〜90万人以上と推計される。日本で戊辰戦争が起きたのは、その3年後である。
中国(清)では1860年代から、西洋の技術を取り入れて国を強くする洋務運動が進んでいた。「中体西用」、つまり中国の伝統を土台に西洋の技術を道具として使う考え方で、政治の仕組みは変えなかった。その限界は日清戦争の敗北ではっきりする。
朝鮮半島に対しては、1875年の江華島事件をきっかけに、1876年に日朝修好条規が結ばれた。日本の領事裁判権を認めさせ、貿易を無関税とする、朝鮮側に不利な条約だった。第一款は朝鮮を「自主の邦」としたが、清は朝鮮を属国と見ており、この解釈の違いがのちの日清戦争につながる。
ロシアとは1875年に樺太・千島交換条約を結び、樺太をロシア領、占守島から得撫島までの千島18島を日本領とした。両国の住民が混じっていた樺太の境界を決めたものだが、アイヌの人々は国籍を3年以内に選ぶよう求められ、本人の意思と関係なく移住を迫られた。
評価の分かれる点
明治維新がいつ始まりいつ終わったかには諸説がある。始まりは天保年間、ペリー来航の1853年、王政復古の1867年、明治改元の1868年など、終わりは廃藩置県の1871年、西南戦争の1877年、内閣制度の1885年、憲法発布の1889年などの説がある。この記事では、新政府の発足から日清戦争の前までを一つの時代として扱った。
くらさんの考察
廃藩置県から地租改正まで、わずか2年ほどで税・兵・学校の仕組みが一度に変わっている。政府がこれほど急いだのは、欧米と結んだ不平等条約を改めるには、欧米と同じ形の国になる必要があると考えたためと考えられる。岩倉使節団がアメリカで日本の法制度を理由に改正を断られたことは、その考えを強めたはずである。
一方で、変化の重さを受け止めたのは士族と農民だった。士族は西南戦争で、農民は地租改正反対一揆で抵抗し、地租は1877年に2.5%へ下げられた。武力で負けた士族の不満が自由民権運動の言論に流れ込み、政府が国会開設を約束するところまで進んだと見ると、憲法と議会は上からの改革であると同時に、下からの圧力の結果でもあったと考えられる。
ジージへの問いかけ
・新潟のあたりでは、戊辰戦争や廃藩置県のころの話が家や地域に伝わっていますか。
・米で納めていた年貢を、お金で納める地租に変えたことは、農家の暮らしをどう変えたと思いますか。
・最初の選挙で投票できたのは人口の1%ほどでした。それでも議会ができたことには、どんな意味があったと思いますか。
出典
・ウィキペディア「明治維新」 https://ja.wikipedia.org/wiki/明治維新
・ウィキペディア「戊辰戦争」 https://ja.wikipedia.org/wiki/戊辰戦争
・ウィキペディア「廃藩置県」 https://ja.wikipedia.org/wiki/廃藩置県
・ウィキペディア「学制」 https://ja.wikipedia.org/wiki/学制
・ウィキペディア「地租改正」 https://ja.wikipedia.org/wiki/地租改正
・ウィキペディア「西南戦争」 https://ja.wikipedia.org/wiki/西南戦争
・ウィキペディア「岩倉使節団」 https://ja.wikipedia.org/wiki/岩倉使節団
・ウィキペディア「大日本帝国憲法」 https://ja.wikipedia.org/wiki/大日本帝国憲法
・ウィキペディア「第1回衆議院議員総選挙」 https://ja.wikipedia.org/wiki/第1回衆議院議員総選挙
・ウィキペディア「日朝修好条規」 https://ja.wikipedia.org/wiki/日朝修好条規
・ウィキペディア「樺太・千島交換条約」 https://ja.wikipedia.org/wiki/樺太・千島交換条約
・ウィキペディア「ドイツ帝国」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ドイツ帝国
・ウィキペディア「南北戦争」 https://ja.wikipedia.org/wiki/南北戦争
・ウィキペディア「洋務運動」 https://ja.wikipedia.org/wiki/洋務運動
動画
・【社会】 歴史-57 明治時代② ・ 三大改革編(とある男が授業をしてみた)https://www.youtube.com/watch?v=pCgjhXLffjA
・【明治時代】207 忙しい人のための明治時代【日本史】(YouTube高校 / 日本史・世界史)https://www.youtube.com/watch?v=g-MEvEy1NGQ
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