No.18新着 昭和戦前と戦争の時代(1926〜1945) 恐慌から満州事変、日中戦争、太平洋戦争、敗戦まで
1929年の世界恐慌が日本の農村を苦しめるなか、1931年に関東軍が満州事変を起こし、日本は国際連盟を脱退した。軍人によるクーデター未遂(二・二六事件)を経て1937年に日中戦争が始まり、1941年には米英との戦争に広がった。沖縄戦、広島・長崎への原爆投下、ソ連の参戦を経て、日本は1945年8月にポツダム宣言を受け入れた。
本文と出典
この時代のあらまし
昭和の始まりから敗戦までの約20年は、経済の危機が外への軍事行動を呼び、その軍事行動が次の戦争を呼んでいった時代である。出発点は1929年10月、ニューヨーク株式市場の暴落から始まった世界恐慌だった。日本では1930年1月の金解禁と重なって生糸の輸出が激減し、農村では娘の身売りや食事をとれない子ども(欠食児童)が増えた。
1931年9月18日、奉天(今の瀋陽)郊外の柳条湖で南満洲鉄道の線路が爆破された。関東軍はこれを中国軍のしわざとして軍事行動を始め(満州事変)、1932年3月に満洲国の建国が宣言された。戦後の調査などで、爆破は板垣征四郎・石原莞爾らが計画した関東軍の自作自演とされている。国際連盟が派遣したリットン調査団の報告書は満洲国を認めず、1933年2月24日に連盟総会で採択されると、日本代表団は退席し、3月27日に脱退を通告した。
国内では軍の発言力が強まった。1936年2月26日、陸軍皇道派の青年将校が約1,483人の兵を率いて蜂起し、高橋是清大蔵大臣、斎藤実内大臣、渡辺錠太郎教育総監を殺害した(二・二六事件)。昭和天皇が鎮圧を求め、反乱は29日までに収まったが、岡田啓介内閣は総辞職した。
1937年7月7日、北京郊外の盧溝橋での衝突から日中戦争が始まった。8月の第二次上海事変で全面戦争となり、戦いは南京・徐州・武漢・広東へと広がった。日本は宣戦布告をせず、これを「支那事変」と呼んだ。戦争が長引くなかで日本は資源を求めて南へ進み、1940年9月に日独伊三国同盟、1941年7月に南部仏印進駐を行った。アメリカは石油の全面禁輸で応じ、日米交渉はハル・ノートの提示で行き詰まった。
1941年12月8日、日本はマレー半島への上陸とハワイ・真珠湾への攻撃で米英と開戦した。初めは勝ち進んだが、1942年のミッドウェー海戦やガダルカナル島の戦いで流れが変わり、本土への空襲が激しくなった。1945年4月1日には米軍が沖縄本島に上陸し、6月23日に組織的な戦闘が終わった。7月26日に米英中がポツダム宣言を出し、8月6日に広島、9日に長崎に原子爆弾が落とされ、8日にはソ連が日本に宣戦した。日本は8月14日に宣言の受け入れを決め、15日に玉音放送で国民に伝え、9月2日に降伏文書に署名した。
主なできごと
・1929年10月24日 ニューヨークで株価暴落(暗黒の木曜日)。世界恐慌
・1930年1月 金解禁。昭和恐慌
・1931年9月18日 柳条湖事件。満州事変
・1932年3月 満洲国の建国を宣言
・1933年3月27日 国際連盟に脱退を通告(発効は1935年)
・1936年2月26日〜29日 二・二六事件
・1937年7月7日 盧溝橋事件。日中戦争が始まる
・1940年9月 日独伊三国同盟
・1941年7月 南部仏印進駐。アメリカが石油を全面禁輸
・1941年12月8日 マレー作戦と真珠湾攻撃。太平洋戦争が始まる
・1942年6月 ミッドウェー海戦
・1945年4月1日 米軍、沖縄本島に上陸。6月23日に組織的戦闘が終わる
・1945年7月26日 ポツダム宣言
・1945年8月6日 広島に原子爆弾。8月9日 長崎に原子爆弾
・1945年8月8日 ソ連が対日宣戦
・1945年8月14日 ポツダム宣言の受け入れを決める。15日 玉音放送
・1945年9月2日 降伏文書に署名
文字の記録から分かること
ポツダム宣言は13か条からなり、軍国主義勢力の排除、連合国による占領、領土の制限、軍隊の解散、戦争犯罪人の処罰などを求めた。日本政府ははじめ「黙殺」する方針を示し、原爆投下とソ連参戦ののち、8月10日の御前会議で天皇の地位を保つことだけを条件に受け入れる案をまとめた。
太平洋戦争の呼び方について、日本政府は1941年12月の閣議決定で「大東亜戦争」と呼ぶことにした。戦後はGHQの方針でこの名は使われなくなり、連合国側では「Pacific Theater」「War against Japan」などと呼ばれた。
原爆の被害は、記録が焼けたこともあって今も正確には分かっていない。広島市は、当時市内にいた約35万人のうち、1945年12月末までに約14万人が亡くなったと推計している。長崎は、1950年7月の原爆資料保存委員会の報告にもとづき、1945年12月末までの死者を73,884人、負傷者を74,909人と推定している。
世界では
アメリカで始まった恐慌はヨーロッパに広がり、ドイツでは失業者があふれて、1933年1月にヒトラーが首相に任命された。イギリスは1932年のオタワ協定で、自国と植民地で囲い込むブロック経済に進み、日本も満洲国や台湾を含むアジアとの貿易に傾いた。
ヨーロッパでは1939年9月1日にドイツがポーランドに侵攻し、3日にイギリス・フランスが宣戦して第二次世界大戦が始まった。1941年6月22日にはドイツがソ連に攻め込み(独ソ戦)、半年後の日本の参戦で戦争は世界に広がった。ドイツは1945年5月に降伏している。
中国では、国民政府が日本との戦いを続け、日中戦争は1941年以後、第二次世界大戦の一部となった。中華民国の犠牲は軍民合わせて1000万人以上とされる。
ソ連は1945年8月8日に日本に宣戦し、同じ日にポツダム宣言に加わった。ソ連による北方の島々の占領は、今も日ロの間の争点になっている。
評価の分かれる点
戦争の犠牲者数は、推計によって大きく違う。ウィキペディアの「太平洋戦争」は日本の軍人・軍属の損害を193万2千人、民間人の死者を80万人以上とし、「第二次世界大戦」は日本の戦死者を約212万〜230万人とする。中国の犠牲者は軍民合わせて1000万人以上とされるが、日中戦争の記事は数字が資料によって大きく異なると書いている。南京攻略のときの出来事を含め、この記事では特定の数字を採らない。
沖縄戦では、日本の軍人の戦死・行方不明が約9万4千人、沖縄県民の犠牲が推計約9万4千人とされ、県民の約4人に1人が亡くなったと言われる。住民の集団自決に軍がどう関わったかは、今も議論が続いている。
満州事変の柳条湖事件を関東軍の自作自演とするのが一般的な見方だが、関与を否定する見解も紹介されている。ポツダム宣言の受け入れが「無条件降伏」にあたるかどうかも議論がある。戦争の責任をだれがどれだけ負うかは、戦後の東京裁判(次の記事)以後も議論が続いており、この記事では判断しない。
くらさんの考察
1931年の満州事変から1945年の敗戦までを見ると、現地の軍が先に動き、政府があとから認める形が何度も繰り返されている。国際連盟の脱退も、日中戦争の拡大も、その場では引き返す道があったはずだが、引き返すと前の行動が誤りだったと認めることになる。それが選択の幅を狭めていったと考えられる。
背景には世界恐慌で苦しむ農村があった。満洲への進出に期待が集まったのは、経済の行き詰まりを外で解決しようとする考えとつながっていたと考えられる。ドイツでも同じ時期に、恐慌がヒトラーの政権を生んでいる。日本だけの特殊な出来事としてではなく、世界恐慌のあとに各国が自国の囲い込みに走った流れの中で見ると、分かりやすくなる。
ジージへの問いかけ
・ジージのご両親や親戚から、戦争中や空襲、引き揚げの話を聞いたことはありますか。
・現地の軍が先に動き、政府があとから認める形を止められなかったのはなぜだと思いますか。
・犠牲者の数が資料によって大きく違うことを、歴史を学ぶうえでどう扱えばよいと思いますか。
出典
・ウィキペディア「世界恐慌」 https://ja.wikipedia.org/wiki/世界恐慌
・ウィキペディア「満州事変」 https://ja.wikipedia.org/wiki/満州事変
・ウィキペディア「二・二六事件」 https://ja.wikipedia.org/wiki/二・二六事件
・ウィキペディア「日中戦争」 https://ja.wikipedia.org/wiki/日中戦争
・ウィキペディア「太平洋戦争」 https://ja.wikipedia.org/wiki/太平洋戦争
・ウィキペディア「第二次世界大戦」 https://ja.wikipedia.org/wiki/第二次世界大戦
・ウィキペディア「沖縄戦」 https://ja.wikipedia.org/wiki/沖縄戦
・ウィキペディア「ポツダム宣言」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ポツダム宣言
・広島市「原爆死没者について」 https://www.city.hiroshima.lg.jp/soshiki/48/9400.html
・長崎原爆資料館 Damage caused by Atomic bombing https://nagasakipeace.jp/en/reference/materials/kids/higai.html
動画
・【社会】 歴史-80 第二次世界大戦①(とある男が授業をしてみた)https://www.youtube.com/watch?v=uGG4c66fujQ
・【第二次世界大戦】268 忙しい人のためのアジア・太平洋戦争【世界史】(YouTube高校 / 日本史・世界史)https://www.youtube.com/watch?v=OCV1M7G81b4
関連動画
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