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No.20新着 高度経済成長からバブルまで(1955〜1989) 世界第2位の経済大国と、その代わりに失ったもの

1955年ごろから1973年ごろまで、日本の実質経済成長率は年平均10%前後に達し、1968年には国民総生産でアメリカに次ぐ世界第2位になった。その裏で水俣病などの公害が深刻になった。1972年には沖縄が返還され、中国との国交が開かれた。石油危機で高度成長は終わり、1985年のプラザ合意のあとの円高と金融緩和がバブル経済を生んだ。

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出典を確かめた日
2026年10月19日
分野
昭和(1926〜1989)
立場
くらさんの考察
タグ
政治外交経済・暮らし災害アメリカ中国朝鮮半島
地域
日本(全国・沖縄・水俣・新潟)、アメリカ、中国、朝鮮半島、ソ連、中東
資料の種類
事典・概説
年代
1955〜1989年

本文と出典

この時代のあらまし

1956年の経済白書は「もはや戦後ではない」と書いた。1953年後半には生産が戦前の最高水準を超えており、ここから1973年ごろまで、日本の実質経済成長率は年平均10%前後という高さが続いた。安くて質の高い働き手、高い貯蓄率、1ドル=360円の固定相場による円安などが理由に挙げられている。
1960年、池田勇人内閣は「所得倍増計画」を発表し、目標は1967年に達成された。1964年10月1日に東海道新幹線が開業し、10月10日からはアジアで初めての東京オリンピックが開かれた。1968年には国民総生産(GNP)で西ドイツを抜き、アメリカに次ぐ世界第2位になった。
成長の代わりに、公害が人々の体をむしばんだ。熊本県水俣湾では、チッソ水俣工場の排水に含まれたメチル水銀が魚を通して住民の体に入り、1956年5月1日に水俣病が公式に確認された。国が工場排水を原因と認めたのは1968年9月26日で、確認から12年かかっている。新潟県の阿賀野川流域では1965年に新潟水俣病が公表され、富山県神通川流域のイタイイタイ病、三重県の四日市ぜんそくと合わせて四大公害病と呼ばれる。熊本の第一次訴訟では1973年3月20日に患者側が勝った。
外交では、1965年に韓国と日韓基本条約を結び、国交を開いた。1972年5月15日に沖縄がアメリカから返還され、同じ年の9月29日には田中角栄首相と周恩来首相が日中共同声明に署名して、中華人民共和国と国交を開いた。
高度成長を終わらせたのは、1971年のニクソン・ショックで円が実質的に切り上げられたことと、1973年の第四次中東戦争をきっかけとする石油危機だった。物価は「狂乱物価」と呼ばれるほど上がり、1974年の消費者物価は約23%上昇し、トイレットペーパーの買い占め騒ぎも起きた。1974年には戦後初めてのマイナス成長となった。
1985年9月22日、ニューヨークのプラザホテルに集まった先進5か国(G5)は、ドル高を改めることで合意した(プラザ合意)。円は1年後に1ドル150円台まで上がり、円高による不況を心配した日本は金融をゆるめ、公定歩合は2.5%まで下げられた。お金が土地と株に流れ込み、1986年12月から1991年2月までのバブル景気が生まれた。日経平均株価は1989年12月29日に38,915円87銭をつけた。

主なできごと

・1955年 55年体制が始まる。このころから高度経済成長
・1956年 経済白書「もはや戦後ではない」。5月1日 水俣病の公式確認
・1956年10月19日 日ソ共同宣言。12月 日本が国際連合に加盟
・1960年 池田内閣の所得倍増計画
・1964年10月1日 東海道新幹線開業。10月10日〜24日 東京オリンピック
・1965年 新潟水俣病の公表。6月22日 日韓基本条約
・1968年 GNPで世界第2位に。9月26日 国が水俣病の原因を認める
・1971年 ニクソン・ショック
・1972年5月15日 沖縄返還。9月29日 日中共同声明
・1973年 第一次石油危機。3月20日 熊本水俣病第一次訴訟で患者側勝訴
・1974年 戦後初のマイナス成長
・1978年 日中平和友好条約
・1979年 第二次石油危機(イラン革命)
・1985年9月22日 プラザ合意
・1986年12月 バブル景気が始まる(〜1991年2月)
・1989年 昭和が終わり、平成へ。12月29日 日経平均が史上最高値

文字の記録から分かること

日中共同声明で、日本は中華人民共和国政府を中国の唯一の合法政府と認めた。台湾について中国は自国の領土の一部だとし、日本はその立場を理解し尊重するとした。中国は戦争の賠償請求を放棄し、日本は戦争で中国の人々に与えた損害の責任を深く反省すると書いた。
日韓基本条約は、1910年の韓国併合条約などそれ以前の条約が「もはや無効」であることを確認し、韓国政府を朝鮮半島の「唯一の合法的な政府」とした。あわせて結ばれた請求権協定で、日本は無償3億ドル、有償2億ドルなどを10年かけて提供し、請求権の問題は「完全かつ最終的に解決された」とした。

世界では

アメリカとの関係では、沖縄返還が大きな交渉課題だった。佐藤栄作首相とニクソン大統領の交渉で、沖縄は「核抜き・本土並み」で返されることになったが、米軍基地は残った。アメリカは1960年代にベトナムへの介入を深め、1975年4月30日のサイゴン陥落で戦争は終わる。
中国とは、日中共同声明で国交を開いたのち、1974年から75年にかけて貿易・海運・航空・漁業の協定を結び、1978年に日中平和友好条約を結んだ。
朝鮮半島では、日韓基本条約の交渉が1951年から続いたが、李承晩ラインや竹島、歴史の受け止め方をめぐって難航し、冷戦下の安全保障を重く見たアメリカの仲介で合意に至った。日本からの資金は韓国の経済発展(「漢江の奇跡」)を支えたとされる。北朝鮮はこの協定を無効だと主張している。
ソ連とは1956年10月19日、鳩山一郎首相がモスクワで日ソ共同宣言に署名し、戦争状態を終わらせて国交を回復した。ソ連の支持を得て、日本は同じ年の12月に国際連合に加盟した。宣言は平和条約を結んだあとに歯舞群島と色丹島を引き渡すと約束したが、平和条約は結ばれず、ソ連は1960年の日米安保条約改定を理由にこの約束を撤回している。
中東では1973年の第四次中東戦争でアラブの産油国が原油を値上げし、イスラエルを支持する国への輸出を止めた。世界はインフレと不況が同時に進むスタグフレーションに陥った。

評価の分かれる点

プラザ合意については、日本の長い経済低迷の出発点になったという見方がある一方、日本がアメリカに妥協を強いられた合意だったという解釈もあり、評価は分かれる。バブルの原因も、金融緩和を続けすぎたことと、その後の引き締めが急すぎたことが挙げられるが、税制や土地の評価の仕組みなど、ほかの要因も絡んでいたとされる。
日韓の請求権協定で個人の請求権が残っているかどうかは、日韓で見解が分かれており、2012年には韓国大法院が元徴用工の損害賠償請求を認める判決を出した。日本政府は解決済みとの立場である。沖縄返還をめぐっては、表に出なかった取り決め(密約)があったという指摘がある。

くらさんの考察

高度成長の時代は、ジージの子ども時代から青年期とほぼ重なる。所得倍増計画の目標がわずか7年で達成されたことは、当時の暮らしの変わり方の速さを物語っている。一方で、水俣病の公式確認から国が原因を認めるまで12年かかったことは、成長を止めたくない空気が、被害の認定を遅らせたことを示していると考えられる。
石油危機とプラザ合意は、どちらも日本の外で起きた出来事が日本経済の向きを変えた例である。高度成長もバブルも、1ドル=360円の固定相場や円高と低金利といった、外からの条件の上に成り立っていたと考えられる。

ジージへの問いかけ

・東京オリンピックや新幹線の開業のころ、ジージは10歳でした。テレビや学校で覚えていることはありますか。
・新潟水俣病のことは、新潟で暮らしてきて、どのように伝わってきましたか。
・バブルのころ、ジージの周りでは土地や株の話がどのくらい出ていましたか。

出典

・ウィキペディア「高度経済成長」 https://ja.wikipedia.org/wiki/高度経済成長
・ウィキペディア「1964年東京オリンピック」 https://ja.wikipedia.org/wiki/1964年東京オリンピック
・ウィキペディア「水俣病」 https://ja.wikipedia.org/wiki/水俣病
・ウィキペディア「四大公害病」 https://ja.wikipedia.org/wiki/四大公害病
・ウィキペディア「日韓基本条約」 https://ja.wikipedia.org/wiki/日韓基本条約
・ウィキペディア「沖縄返還」 https://ja.wikipedia.org/wiki/沖縄返還
・ウィキペディア「日中共同声明」 https://ja.wikipedia.org/wiki/日中共同声明
・ウィキペディア「日ソ共同宣言」 https://ja.wikipedia.org/wiki/日ソ共同宣言
・ウィキペディア「オイルショック」 https://ja.wikipedia.org/wiki/オイルショック
・ウィキペディア「プラザ合意」 https://ja.wikipedia.org/wiki/プラザ合意
・ウィキペディア「バブル景気」 https://ja.wikipedia.org/wiki/バブル景気
・ウィキペディア「ベトナム戦争」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ベトナム戦争

動画

・【社会】 歴史-88 日本の経済成長(とある男が授業をしてみた)https://www.youtube.com/watch?v=Fdiu3xPxIyY

関連動画

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